* 水神社 後継技術 *

 

 

   神輿飾り綱 縛り方

           

             

  担ぎ棒の縛り方

          

 

 

  宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる・・・より

          お神輿,「地元の人しか担げない」と思っていませんか?本当は,「地元の人は担げない」んです。

          何故,地域の祭りに若者が参加しないのか。

 

 

 

 

     神社織

                      

  

東幟                                                 西幟

            

 

 

    引き揚げロープ(西幟)                                ロープ縛る位置(支柱3方向)

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         幟上部縛り方

         

   その他の結び

         

 

 

     東側は矢が上向き   西側は矢が下向き

     竹は1年物は割れるので不可

 

 

   御借屋    ・・・各部分写真・・・

                      

 

  男縛り

男縛り

https://www.youtube.com/watch?v=wTVuywUpDBs

 

 

 

神 社

鳥居

「鳥居」は神社の象徴となっていますが、これは神社の入り口に建つ一種の門であり、神さまの聖域と人間世界との境界を示したものだといわれています。
 大きな神社では、たいがい二つ以上の鳥居がありますが、その場合は外側にある鳥居から一の鳥居・二の鳥居・三の鳥居と呼んでいます。
 鳥居の起源については、よくわかってはいませんが、一説によると天照大御神(あまてらすおおみかみ)が岩戸隠れのとき、鶏(常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり))を止まり木にとまらせて鳴かせたところ、それによって大御神が岩戸から出てこられたことから、以後神前には鶏の止まり木をつくるようになり、それが鳥居になったといわれています。 また、語源については、「通り入る」とか「鶏居(とりい)」という言葉が転化したものといわれています。
 普通、鳥居の構造は、二本の柱と柱の上に乗せた「笠木(かさぎ)」、その下に水平に通された「貫(ぬき)」という柱から成っています

 

 

参道

鳥居をくぐり抜けると、社殿まで続く道があります。この道を「参道」といいます。文字どおり参道とは「お参りする道」で、神さまの鎮まる所と人とを結びつける大切な道です。たとえ、わずかな距離にすぎない参道であったとしても、神さまの鎮まる所へ一歩一歩近づくわけてすから、敬虔(けいけん)な気持ちで進むようにしましょう。なお、鳥居をくぐるときには軽くお辞儀(おじぎ)をするのがよいとされています。
 それから、参道の中央は「正中(せいちゅう)」といわれ、神さまの通り道とされているので、そこをなるべく歩かないようにするのが、神さまに対する礼儀

 

 

狛犬(こまいぬ)

「狛犬」は「高麗犬」「胡麻太」とも書き、神社の入り口や拝殿の前などに置かれている守護と装飾を兼ねた一対の獣形像のことをいいます。 狛犬の原形はオリエント、インドにおけるライオン像で、それが中国、朝鮮(高麗国(こまのくに))を経て渡来しました。それ故「高麗犬(こまいぬ)・胡麻犬(こまいぬ)」とも書きます。渡来当初は宮殿内の几帳や屏風などの揺れを防ぐ鎮子(ちんす)」(重し)として用いられていましたが、次第に社寺でも用いられるようになりました。沖縄県では「シーザー」といわれる獅子が、各家の屋根に魔除として置かれていますが、神社の狛犬も同様に、守護と魔除のために置かれています。

 一般的に狛犬は、二匹で一対になっていて、社殿に向かって右側の阿形(あぎょう)(口を開ける)は侵入する魔に対しての攻撃を、左の吽形(うんぎょう)(口を閉じる)は防御の形ともいわれており、「阿吽(あうん)」を表しています。雄雌の別はありません

 

賽銭の意味

賽銭とは元来、神仏に祈願成就のお礼として奉った金銭のことをいいました。それが転じて、参拝のときに奉る幣帛(へいはく)(神に奉献する物)の代わりとしての金銭を意味するようになりました。つまり、賽銭は供え物の一種なのです。金銭が流通するようになる以前には、参拝者は(金銭に相当するものとして)米を紙に包んで奉っていました

 

 

注連縄(しめなわ)・紙垂(しで)

「注連縄」は七五三縄(しめなわ)」とも書き、天照大神が天岩戸から出られたとに天岩戸の前に引き渡した縄の故事によるものです。神社や神棚などに見られるように、神聖な区域に懸け渡し、内と外を隔てて、不浄にふれさせないために用いられるものです。
 つまり、ここが特別な場所であることを、人々に明示するためであります。ですから、紙垂(しで)を垂らすというのも、注連縄を目立たせて、縄の所在をはっきりさせる目印なのです。
 注連縄は、その形状によって大根注連(だいこんじめ)、牛蒡注連(ごぼうじめ)といった種紙垂類がありますが、いずれも新しい藁(わら)で左綯(ひだりない)にして作ります。
 神棚に取りつける際には向かって右に太い方、左に細い方が来るようにして、これに紙垂を四垂(よたれ)はさみ込んでください。
 紙垂(しで)とは、紙を、4垂れにし注連縄(しめなわ)等に付けているものです。四手・四垂とも書き、もとは木綿・麻などを用いていましたが後に、紙に変わりました。

 

榊(さかき)

 「榊」は暖地の山林に自生するツバキ科の常緑樹です。神社でのお祭りはもちろんのこと、神棚にも榊は欠かせません。字を見てもわかるとおり、榊は「神」と「木」を合わせた字ですから、神さまに関わりがある木ということになります。
 榊の語源については諸説あり、神さまの聖域と人間世界との「堺」を示すための木、つまり「境木」(さかいき)が転じたという説や、「栄木」(さかき)あるいは神聖な木を意味する「賢木」(さかき)が転じたとする説があります。地方によっては榊が生育しない所があるので、その地方では同じ常緑樹である杉・樅(もみ)・樫(かし)などを代わりに使っています。榊は紙垂(しで)を付けて玉串にしたり、神さまの依代(よりしろ)とする他に、神さまの宿る所としての神離(ひもろぎ)に使われたりしています。このように、一年中常に青々とした緑を保つ常緑樹の枝が使用されるのは、それが神さまの、尽きることのない恩恵の証とされるからです

 

 

神輿

「神輿」を音読みして「シンヨ」ともいいます。神輿は、祭礼にあたり神幸祭(しんこうさい)(多くの場合、年一回の例祭後あるいは祭礼中に行われる)に際して、御神体あるいは御霊代(みたましろ)がお乗りになる輿(こし)のことをいいます。
 神幸とは、御神体が本社から御旅所(おたびしょ)(神幸の中継地および目的地となる所、本社や御祭神に由緒のある場所が選ばれる)に渡御(とぎょ)することをいいます。このとき、氏子たちが神輿をかついで各地区を練り歩きますが、そうすることで神さまに各地区をご覧いただくのです。神幸の途中、神輿を上下左右に振り動かしたりして、わざと荒々しく扱うことがあります。これは神輿に坐す神さまの「魂振(たまふ)り」で、これにより神さまの霊威を高め、豊作や豊漁、疫病の退散がなると信仰されているのです。また、海や川に神輿を入れることもありますが、この場合は一種の禊(みそぎ)神事と考えられています

 

 

神鏡(しんきょう)

天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨(てんそんこうりん)(瓊瓊杵尊が葦原中国(あしはらのなかつくに)、すなわち日本列島に降臨すること)に際して、三種の神器(しんき)(八咫鏡(やたのかがみ)・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)・八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)を授けました。このとき天照大御神は、三種の神器のうちの八咫鏡について、次のような神勅(しんちょく)を下されています。
 『古事記』には「此れの鏡は専ら我が御魂として、吾が前を拝(いつ)くがごとく、斎(いつ)き奉れ」、また『日本書紀』には「吾が児(みこ)、此の宝鏡(たからのかがみ)を視まさむこと、まさに吾を視るがごとくすべし」と記述されています。これらの神勅に、神鏡の起源を求めることができるでしょう。
 形象を写す鏡は、中国では、「鏡」を「鑑」とも書き、古くから神秘的なものとされ、祭祀における御霊代、さらには神社の御神体として崇められました。『日本書紀』から引用した神勅の中に「吾を視るがごとくすべし」とありますが、これは神さまのお姿は目に見えないが、この鏡を神さま自身と思って見よということなのです。つまり物理的な視力で見るのではなく、心眼をしかと見開いて見よということなのです

 

 

 

神社の祀り

祈年祭(きねんさい)

「祈年祭」は「としごいのまつり」ともいい、毎年2月17日に全国の神社で行われ、その年の五穀豊穣を祈願するお祭りで、秋の新嘗祭と相対するお祭りです。
 五穀豊穣をもたらす山の神は、春になると山から降りてきて「田の神」となり、農作業を見守り、秋の収穫が終わるとまた山に帰っていく神様です。この春の祭りには、山の神の神迎え。相対する秋の祭りには、田の神の神送り等の神事が残っています。
 「祈年祭」は、年を祈る祭りですが、「年」とは 穀物(稲)を意味します。(穀物は、年に1回稔ることから、転じて穀物の成熟すること、もしくは穀物そのもの)
 すなわち、稲穂を蒔く季節の初めにあたって、その豊穣を祈願するわけですから、いいかえれば人間の生命の糧(かて)を恵んでくださるようにとお祈りするお祭りといえるでしょう。したがって、一粒の米にも神さまの御霊(みたま)が宿ると考えられているのです。
 祈年祭では、稲だけでなく五穀の豊穣と国の繁栄、そして皇室の安泰や国民の幸福なども祈願されます

 


新嘗祭(にいなめさい)

「新嘗祭」は「しんじょうさい」また、初嘗とも書き、毎年11月23日に全国の神社で行われます。「新」は新穀を「嘗」はご馳走を意味し、神様に新穀をお供えして、神様の恵みによって新穀を得たことを感謝するお祭りです。
 五穀豊穣を祈願した2月17日の祈年祭と相対するお祭りで、この日、宮中では天皇が感謝をこめて新穀を神々に奉るとともに、御自らも召し上がります。
 新嘗祭の起源は古く、『古事記』にも天照大御神(あまてらすおおみかみ)が新嘗祭を行ったことが記されています。現在では「動労感謝の日」として、国民の祝日となっていますが、一説によるとその祝日名は、生命の糧を神さまからいただくための勤労を尊び、感謝をしあうことに由来しているといわれています

 

 

大祓(おおはらえ)

人が知らず知らずのうちに犯したであろう罪や過(あやま)ち、心身の穢(けが)れを祓い清めるための神事を「大祓」といいます。毎年6月と12月の2回、その月の末日に行います。6月の大祓を「夏越(なご)しの大祓」、12月の大祓を「年越(としこ)しの大祓」ともいいます。
 平安時代初期の国家の法制書「延喜式」にも6月と12月の大祓が記されており、古くから行われていたことがわかります。
 大祓には「形代」(撫物(なでもの)ともいい、紙を人の形に切り抜いたもの)に、名前と年齢を書き、さらにその形代で身体を撫でて息を吹きかけます。そうすることにより、自分の罪穢を移し、それを海や川などに流しわが身の代わりに清めてもらいます。また、疫病や罪穢を祓う「茅の輪くぐり」を行うところもあります。

 

 

夏越の祓

「水無月(みなずき)の夏越の祓する人は 千歳の命 延ぶというなり」と平安時代からうたわれています。6月(夏越)と12月(年越)には、宮中や各地の神社で大祓が行われています。わが国では古くから清浄を重んじ、清く明るく正しい心で毎日の生活に勤しむことを常としてきました。しかし、日々の暮らしの中で知らず識らずのうちに不浄に触れ、過ちを犯すこともあります。清浄であるべき心は、こうした罪や穢れによって濁ってしまいます。そこで1年に2度、心身のこうした罪や穢れを祓い清めて、直く正しく清々しい神ながらの人間生来(しょうらい)の姿に立ち返り、気持ちも新たに明日の生活がより良いものとなるようにとの祈りをこめて行う禊の神事が大祓です。「茅の輪」をくぐって禊をし自らを清めたり、身代わりの形代(紙を人の形に切り抜いたものなど)に託した罪や穢れを川や海に流して祓い清めたりします


 

節 分

「節分」とは、元来、四季それぞれの季節の分かれる日のことをいいます。すなわち、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指し、1年に4日あります。しかし、今では、「節分」といえば、一般に「立春の前日」のことだけをいうようになりました。これは、立春の前日が、1年の最終日にあたる時と考えられていたことなどから、特にこの節目が重要視されたからです。そのために、災いや邪気を払ういろいろな行事が行われてきました。
 節分には福を招き鬼を追いはらう「豆まき」をしますが、これは、中国の明の時代の習慣を、室町時代に取り入れたといわれています。平安時代の宮中で大晦日に行われていた「迫儺(ついな)(鬼やらい)」と、室町時代頃の「豆まき」という異なった行事が、同じく悪疫邪気(あくえきじゃき)をはらう行事であったことなどから結びつき次第に民間に伝わっていったといわれています。
 また、この日には「やいかがし」といって、。柊の枝にい鰯(いわし)の頭を刺して戸口にはさむ風習があります。これは、鬼が侵入することを防ぐ意味で行われています。もちろん、鬼とは、悪疫邪気 すなわち病気やいろいろな良くないことを譬(たと)えていて、無病息災に、災(わざわ)いごとにあわずに過ごせるようにとの願いが込められています